小沢剛と宮沢章夫 ノーベル賞作家イェリネクを「誤読」する現代美術家と演出家たち

テキスト:CINRA.NET編集部

「3.11」以降、急速に日本で注目を浴び始めた巨匠イェリネク



今では『F/T』の重要なテーマの1つと言ってもいい「エルフリーデ・イェリネク」だが、おそらく2年くらい前までは、日本の一部演劇関係者以外でその名前を意識する者はほとんどいなかった。

1960年代から活動を続けるオーストリアの詩人・小説家・劇作家であり、2004年にはノーベル文学賞も受賞している彼女。その名前が日本で一躍有名になったのは、あの3月11日の後。東日本大震災や福島の原発事故をモチーフにしたシリーズ作品『光のない。』を発表し、さらに『F/T12』において、彼女の作品が「連続上演」という形で紹介されたことがきっかけだ。

イェリネクは、原発事故に対して誰よりも怒り、絶望し、その言葉をテキストに刻む。散文詩のように、意味を理解するのが難解な文章に「電力会社」「原料価格」「欺瞞」と、日本人ならば、思わず具体的なものを連想してしまう単語が散りばめられる。『光のない。』シリーズは、日本に向けたヒリヒリとした緊張感に満ちている。

昨年に引き続き、『F/T13』でも「連続上演」は続く。『光のない。(プロローグ?)』と題された戯曲を、現代美術家・小沢剛と、演出家・宮沢章夫率いる遊園地再生事業団が上演するのだ。


「お客さんが入るのか、不安で仕方なかった」という小沢の心配をよそに、当日券には長蛇の列。追加公演を行うほどの大盛況



現代美術家の小沢にとって、演劇作品の創作は初めての経験。役名や台詞も排除された、まるで散文詩のようなイェリネク作品……。小沢剛版『光のない。(プロローグ?)』は、11月21日~24日にかけて東京芸術劇場・シアターイーストにて上演された。

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『F/T13』イェリネク連続上演 『光のない。(プロローグ?)』小沢剛バージョン (C) Yohta Kataoka

劇場内に入ろうとしても、開演時間までロビーにて待たされる観客たち。劇場への扉がやっと開き、中へ入ると、2枚の絵画作品が目に飛び込んでくる。「あなたの自由はそれだけ、そう、ない! まったくない!」という言葉から始まる手紙のようなものを描いた絵画。どうやら『光のない。(プロローグ?)』の言葉が刻まれているようだ。

さらに、劇場奥へと進んでいくと、文字を写した写真作品や、文字が切り抜かれたダンボールのオブジェなど、様々な形のアート作品となって、イェリネクの言葉が展示されている。だが、小沢が創りだした仕掛けはこれだけではなかった。

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『F/T13』イェリネク連続上演 『光のない。(プロローグ?)』小沢剛バージョン (C) Yohta Kataoka

突然、会場内にモーター音がこだますると、ドタドタと劇場内に駆け込んでくる大きな足音。突然、類人猿が目の前に飛び込んできた。そして、類人猿が展覧会場奥にたどり着くと、それまで展示されていた絵画作品や、幕などが宙に釣り上げられ、展覧会場だったはずの空間は一気に劇場に変わる! 無造作に牛のオブジェを投げ捨てていく類人猿。この牛の背中にも、イェリネクの言葉が書かれているようだ。どこか、ユーモラスな雰囲気を漂わせつつも、会場内を覆う独特の緊張感。さらに、ハワイアンミュージックをバックに類人猿のお面をかぶったフラダンサーがフラダンスを踊る映像がスクリーンに投影される。しかし、そこにあるのは青々としたハワイの海ではなく(おそらく)被災地の太平洋。そして、スクリーンの奥から実物のフラダンサーが登場し、手招きを受けて進んでいった先には、瓦礫を詰め込んだようにも見える巨大な袋と、掲げられた「光のない。(プロローグ?)」という言葉。瓦礫の山の中に、類人猿は沈んでいく……。

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『F/T13』イェリネク連続上演 『光のない。(プロローグ?)』小沢剛バージョン (C) Yohta Kataoka

イェリネクの言葉を頼りに、小沢の作品は直接的に震災を扱うものとなった。「本当にお客さんが入るのか、不安で仕方なかった」という小沢だが、上演回数を重ねるにつれて、当日券には長蛇の列が出来上がるようになる。結果、追加公演を行うほどの大盛況で幕を閉じた。

小沢:『光のない。(プロローグ?)』は、誰が読んでもわかりやすい戯曲ではなく、あまりにもハードルが高かった。けれども、マルセル・デュシャン(20世紀美術に大きな影響を与えた美術家)の本を読んでいて、「現代美術を読み解くようにイェリネクを読む」という方法があっても良いんじゃないかと思いついたんです。現代美術も作品の読み取り方が無数にあるもの。それに気づいたことで、道が開けました。


宮沢章夫はイェリネクの音楽性に注目し、「声」によって、その戯曲に肉薄



小沢がイェリネク戯曲に対して「文字」からのアプローチを仕掛けているとするなら、一方の宮沢は「声」によって、その戯曲に肉薄しようとしている。上演に向けて稽古中の宮沢を訪ねて話を聞いた。

宮沢:小沢さんは被災地で活動して、作品も制作しているからか、とても「ストレート」な作品だと思いました。一方、僕は震災以降、意識的に東北に行かなかったんです。その違いが作品に反映されていると思います。また、僕は俳優の身体に対する信頼感を持っている。文字に書かれたものとしてではなく、どうすれば、イェリネクの言葉を俳優の身体が記憶できるのか。「俳優が言葉を記憶するということ」自体を1つのテーマとしているんです。

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宮沢章夫

『F/T13』のオープニングイベントで、いとうせいこうや飛び入りの一般参加者、Dub Master Xによる音響と共に、宮沢が『光のない。(プロローグ?)』を朗読したのは既報の通り。「あんなに上手く行くとは思わなかった(笑)」と宮沢本人が振り返るように、即興性を重視しながらも、池袋の街中にイェリネクの言葉を響かせていた。だが、「能」の形式を利用した宮沢版『光のない。(プロローグ?)』はときに静謐を、ときにユーモアを、ときにヘッドバンキングを交え、イェリネクの言葉と徹底的に向き合いながら舞台が立ち上がっていく。

宮沢:一般的な書かれ方とは違うイェリネクの戯曲を読んだとき、正直どのように演出すればいいのかほぼわからなかった。だから引き受けたんです。試行錯誤しながら演劇を作っていくことは、僕にとって非常に面白いこと。稽古を重ねていくと、イェリネクのテキストには音楽性が含まれており、歌うように読むことができることを発見していきました。

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『F/T13』イェリネク連続上演 『光のない。(プロローグ?)』稽古風景

自主朗読会を開催してまで、イエリネクの言葉に触れてきた宮沢。今作を創作するにあたり、幽霊や妖怪ばかりが登場する「能」という形式を主軸においたことは、彼が発見した「死者たちが満足する作品」というテーマと無縁ではない。

宮沢:『光のない。(プロローグ?)』を読んでいると、「安易にドラマを作ってはいけない」「死者に寄りかかってはいけない」と警告されているような気持ちになります。この戯曲に登場する「私」がいったい誰を指しているのか、明確には書かれていません。しかし、読んでいるうちに、これは「死者から警告」なのではないかと思うようになっていきました。

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『F/T13』イェリネク連続上演 『光のない。(プロローグ?)』稽古風景

宮沢は「もしかしたら間違った解釈かもしれない」と留保するが、同時に「イェリネクの戯曲は誤読すらも許すもの。100人いたら100通りの誤読があるはず」とも語る。その「誤読」の幅こそが、世界中で上演され、美術家にも演出家にも挑戦をさせるイェリネク作品の豊かさではないだろうか。これらのイェリネク作品に触れる観客にも、ぜひ自らの「誤読」を繰り広げてほしい。

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